もはや本棚から消えてしまったマンガ。COMIC CUEの話。

もはや本棚から消えてしまったマンガ。COMIC CUEの話。

2020年3月9日

上京後、アホほど漫画本を買い漁っていて、引っ越しや結婚や折々に手放してしまった漫画。

ダンボール何十箱という膨れ上がった蔵書が徐々に減っていき、今は一間分の本棚のみ。

「あ、あの本はあったよな、読もう」と突然思い出した本に限って、きっちり売ってしまった、ということが多くて、そんな作品名をメモっておこうとしたら思い出が溢れ出したので、つらつら描いてみようと思った、というお話です。


COMIC CUEという漫画雑誌を知る人は周りからだいぶいなくなってしまった。イースト・プレスから出ていた季刊誌で、1994年12月に第一号がでた雑誌です。

高一の冬。少年ジャンプとか、ちょっと流行った漫画本を、思い出した時に立ち読みする程度だった僕が、書店でなんとなく手に取った創刊号。

テリージョンスンが手がけるシュールな装丁で、江口寿史とか吉田戦車とか相原コージとか、ちょっとだけ読んだことがあるギャグ漫画として認識していた作家名が気になり、当時は割と珍しくビニール袋に包まれていて、立ち読みできないということで、買って帰ったのだ。

静岡の片田舎。偏差値の割には割と気合いの入った進学校で、「勉強もバイトも男女交際にもやる気にかけるマイノリティ」だった少年は、この本をアホほどに読むことになり、色々当時のサブカルチャーに手を染めていくことになったのだった。

「江口寿史責任編集」っていう、今考えるとなかなかすごい文句に、初めて知る執筆陣、望月峯太郎、松本大洋、よしもとよしとも、とり・みき、冬野さほ、いましろたかし、魚喃キリコ、JERRY、田中圭一・・・

「勉強もバイトも男女交際にもやる気にかけるマイノリティ」に、一個大きめの玄関を開けるのは容易い作家陣。さんぴんCAMPやLBまつりみたいな、今考えるとトリハダもののメンツだ。

ここから、「バタアシ金魚」や「お茶の間」、「鉄コン筋クリート」や「トコトコ節」にずるずる入り込んだのであった。

(最初のインパクトは田中圭一「威龍神」の、「竹輪をチンチンにはめて勃起させて、自分で食べる罰」だったけど)

創刊号の、作家陣によるオススメの作品書評内で、「江戸川ハートブレイカーズ」を発見して書店に探に行ったのも、もはや運命でしかない。

この出会いがなければバンド名に「MANGA」が入ることはなかったのかもしれない雑誌です。


COMIC CUEは当時年間誌で、高一の終わりに創刊号を読み、以降年イチで新しい扉を開けることに。

特に2号目の「カバー特集」という、漫画家による漫画のカバーが読める一冊が、かなりのセンセーションでした。

松本大洋のドラえもんに心揺さぶられつつ、

冬野さほ「Cloudy Wednesday」の高野文子カバーとか、

中川いさみにカバーされた「半田溶助女狩り」とか、

朝倉世界一とか、福山庸治とか、「ホモホモ7」とか「絶食」とか、片っ端から本屋で探しまくるきっかけがここに。

書評や各所インタビューで名前が出る「ガロ」や、巻中の「コミック アレ!」の広告も、後戻りできないところに引き摺り込まれるきっかけになった記憶があります。


あー、バンドを始めたのもこの頃だったな。

つらっつらと思い出を記すのみで、もはや語ることもない昔の趣味の話ですが、未だにあの頃の不安定な気持ちやちっさなカタルシスを思い出したので、記してみます。

カルチャーのリバイバルなんぞいらないですが、誰かこの辺わかる人、怒られない程度に小声で話して酒飲みましょう。

ゆうたレッド