怒るということ。

怒るということ。

2020年4月5日

Twitterでこんな漫画がバズって回ってきました。

さそうあきら「ダンのこと」。

まず、このブログ記事で一番言いたいことは、「胸が熱くなったからさ、みんな読んでよ」ということです。

さそうあきらさんといえば、ちょうど、コミック キューとかコミック アレ!とかに触発され、うがった目で青年誌を読み漁っていた思春期の頃に「俺たちに明日はないっス」を読んで心にかゆいストレートパンチをいただいた漫画家。

「コドモのコドモ」とか「マエストロ」とか、話題作もたくさん輩出されつつ、どうも心に引っかかるひねくれた(リスペクトの意)何かを織り込む、好きな作家さんです。

これは、東日本大震災の時に描かれたもののようで、新型コロナに押しつぶされそうな今の世の中に再シェアされたもの、とのこと。

最近もっぱら ビリージョエルの「We Didn’t Start the Fire」を口ずさんでいるオレの心象にバシッとハマったのでした。


うちの3歳の息子は、まーーーーーー、母親っ子で、父親へのあたりがきついきつい。

狭い東京の住宅と多忙の仕事(C28% M35% Y35% K86%くらい)で帰りの遅い安月給、かつ、週末は自分の創作活動に勤しむ父親、確かに立つ瀬もないのだが、

まー、なんでもかんでも怒る怒る。

道に散乱するゴミを見ると「パパ!ゴミが落ちてる!いやなの!」(拾いはしない)

己が散らかしたおもちゃにつまずき「なんでこんなとこにおもちゃが落ちてるの!?だれがおいたの!?」(君です)

朝、おはよーっていうと「パパ面白くない!帰って!」(俺んち)

と、バンドマンとしての先行きの明るさ、頭角をメキメキと生やしています。

なんでそんなに俺に怒るんだ。

*フォローしておくと、そんな彼も通常は、マンションの通路に落ちてた画鋲を階段の下で飼ったり、雪だるまを持って帰って冷凍庫で飼ったり(困)する、弱きものに優しい男です。


怒ることはとても難しい。

伝達のスピード感がハンパない一方で、問題解決に持ち込むハードルが上がる。

「怒っている」と伝えた、声を荒げた、強い嫌悪感を言葉や態度に表現した、とかとかやってしまうと、どんなに正義であろうと「怒った」ことの伝達に終始しがち。

「あの人はめんどくさいからさ」という魔法で片付けられてしまったり。

(で、魔法を使うやつらにかぎって、普通に問いかけても応えなかったりしがちだ)

Twitterで政府や政策に対して怒っている人とか、「めんどくさい人」派閥、「めんどくさいクラスタ」になってるじゃないですか。

無視されたり、揚げ足大会になったり、見てらんない状況になってたり。

(彼らが言っていることや感じている焦り・不安・不満、家族のあるサラリーマンとしては、だいたい同意、本質なんだけど)

いつの間にか、周りは誰かが怒ったことを大体忘れ、「あいつメンドくさい」の読後感だけがいつまでも消えない 笑。


俺の怒り、って大体は主に人間関係の摩擦、

ソリの合わないやつに、こっちが気を使ってるのも知らないで土足な言動をされて怒り発動 とか、まーちっさいことばかりなのだけど、

あとは、社会なのか未来なのかに向けた漠然とした不満の鬱積。最近は特にね。

怒っちゃって「めんどくさい人」魔法をかけらるのが嫌なので、

まっとうな議論に持ち込む努力をしたり、自身が感じた「違和感」を伝達する方法を考えているうちに、

怒るタイミングを逃し、議論も解決もなく流れてゆくということが、往々にして積み重なってゆきます。

俺は怒りっぽいが故に、「怒り」ということを考え、人一倍「怒る」という選択を避けるようになってしまった。これでも。

なので、時にひどく酔いますし塞ぎ込みますし、気丈に楽しく生きたりしています。

だからしおしお歌ってるんだな、まったく困っちゃうよね。


「めんどくさい人」になりたくねぇなあ、なるようになるしなぁ、と、

ぼんやりと不満を持ったことなかれマジョリティー。なんとなく、極めて日本人的に、日本で生きている感じ。

いいんだけど、ホントにそれでいいんだろうか。

「今俺、ムカついたわ」って、もうちょっと言っちゃっていいんじゃないか。

なんとかなんねえのかな。って、「ダンのこと」を読んで、思い返したのでした。

「オレは、ヤマダダンだあ!!!」って、最高かよ。

寝起きに俺の顔をみて「なんでママじゃないんだよ〜〜〜!」って怒り心頭な息子。

この調子で行かれると人生で彼に降りかかる難儀が心配ではあるけど、まあ、感情に素直なのは、、まあ、、ほどほどOK、と思うこの頃。

頑張ろうぜ。父も今ね、いろんなことにメッチャクチャ怒ってるんだ。

外は桜がきれいなのに、ね。

ゆうたレッド