思い起こさせられるということ。

思い起こさせられるということ。

息子のふとした言動で、自分が彼くらいの年齢のときに感じた感情や情景を思い出すようになった。

息子が2歳くらいになったころから。

2歳といえばちょうど、自分の最古の記憶が残っているころだ。

団地の階段に大きなアゲハ蝶の死骸が落ちていて虫嫌いな母と一緒に怖がった記憶。
プラスチックの太いタイヤがついた、アメリカンルックな三輪車の記憶。
それを母がしまってくれるのを待つ時の、倉庫のトタン板の感触。
今思うと狭かった団地の、茶色い合皮のソファー。

とかとか。

それ以来、息子の

保育園に行くのを嫌がったり、
給食を残した話を聞いたり、
風呂上がりにパジャマも着ずにテレビ見て怒られたり、
父に悪態をついて怒られたりするさまなど見るたび、
自分が当事者だった昔のことを思いだすようになった。

息子が3歳の時だったか、
夜に自転車の後ろに載っていた彼が言った言葉。

「パパ、お月さまが自転車についてくるよ!」

あー、こんなことすっかり忘れてたな。
子は俺の人生を生き直してはくれないが、これから俺にいろいろな記憶を思い起こさせてくれるのであろう。

息子はいま6歳。
俺は小学校の曲がりくねった入り口や、やたら吠える友人宅の犬とかを思い出している。

2歳のころの最古の記憶からゆっくりと、人生の走馬灯が周り出しているのかもしれないなーと、ふと思いました。


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